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PEREGRINATIO
タビノ キロク ト キオク
![]() ここから朝7時30分発の始発トロリーバスに乗る。先の行程の長さを考えると、本当はもっと早い便があってほしかった。 | ![]() チケット販売は直前からしか行わないので、販売開始間際の販売所前はご覧の有様。始発便は山ヤくらいしか乗らないだろうと思っていたら、一般の観光客もいる。とはいえこの時間帯は圧倒的に山ヤ優勢。ミニスカのおねえちゃんが異彩を放つ。 | ![]() 7:30 扇沢発。 4日後には無事にこの駅にいられますように。 |
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![]() トロリーバスが通る関電トンネル中ほどにある、難工事であったことで有名な破砕帯は青くライトアップされている。 | ![]() この真上が赤沢岳の稜線。つまり長野県、富山県の県境であり、信濃、越中の国境である。 | ![]() 7:46 黒部ダム駅着。 通常の観光客および、メジャーな登山ルートを目指す人々とはバスを降りた時点でお別れ。我々物好きは、トンネルの先にある知る人も稀な出口へ向かう。 |
![]() まさに秘密の出口といった趣。 | ![]() 8:55 出発。 とはいってもこの「登山」ルートでまずやるべきことは、眼下の黒部下の廊下に向かって、黒部ダム堤体の高さ分だけくだること。 | ![]() 186mある黒部ダム堤体の高さ分下ると、ダムを下から見上げる絶景ポイントを通ることになる。数百メートル離れたこの地点まで、放水の水しぶきが飛んでくる。 |
![]() 下の廊下を歩き出す。胸が高鳴る。 | ![]() 何度来ても思う。すごい景色だ。 | ![]() 適度なスリルとアップダウンが続く快適な道。 |
![]() 平衡感も遠近感もスケール感も何もかもが狂う。 | ![]() 大都市近郊にあったら、近くに土産物屋が立ち並ぶレベルの滝が各所にある。 | ![]() 9:10 下の廊下から内蔵助谷(クラノスケタン)へ入る。地獄の釜の蓋が開く。 |
![]() 12:15 内蔵助平分岐 もともと体力的にも技術的にも厳しい内蔵助谷だが、今年は特に道が荒れていた。崩壊して道の体をなしていない急斜面のトラバースに加え、「私は道です」というカオをしている沢に誤って入ってしまうというルートミス。 すっかり精神的にやられまくってこの地点に到着。 下の廊下以降、ここに至るまでの画像が一枚もないことで、 その悪戦苦闘ぶりをお察しいただければと。 | ![]() ここからは涸れ沢を詰めて峠へ向かう。前回来た時はここには水が流れていた。 | ![]() 悪戦苦闘はまだまだ続く。 重量25㎏近くあるザックを背負った身をくねらせながら、横から道に低く飛び出る木々を避けて這うように進む。さらにルートミスも重なり、体力がどんどん消耗してゆく。 しかし上部に近づくと見晴らしが良くなり気分がいい。悪戦苦闘もあと少しだ。 見えているのはおそらく赤沢岳。あの下を「黒部の太陽」で有名な関電トンネルが貫いている。 |
![]() 15:17 ハシゴ谷乗越(ハシゴタン ノッコシ)着。 ここからは剣沢雪渓下部の真砂沢ロッヂテント場に向けて下るだけだ。その名の通りハシゴの連続する下降路となる。 | ![]() ところがここもかなりの荒れよう。刃のような急斜面の尾根にかけられた木製のハシゴたちは、朽ち果て、曲がり、段が抜け、留めている針金は錆びついている。仮に弱いところを踏み抜いてバランスを崩したら、両側は最低数十メートルは落下してしまいそうな谷。もう泣きそう。荷が軽く、身も軽い相方はするすると下ってゆく。うらやましい。 画像は恐怖のハシゴ区間に取りつく前に撮影した八峰。 | ![]() やっと傾斜が緩やかになってきた。あと少し。 |
![]() 16:56 真砂沢への分岐。 ここまで来てようやく谷底へ降りたことになる。ほっと一安心だ。 | ![]() 17:19 剣沢出合着。 実は分岐からここまで来るのにもう一つ突起を越えなければならいことを忘れていた。といってもたかだが数十メートル程度の登りなのだが、今日一日やられまくったカラダとココロには堪える。そしてここで雪渓を渉ったら、テン場まではさらに登り続けなければならない。 | ![]() 17:30 真砂沢ロッヂテント場着。 呆然としてザックを地面に放り出すと、「ベチャ」と不吉な音がする。後で見てみると、紙カップ日本酒がつぶれて中身が半分ほどこぼれてしまっていた。一部の荷物が酒臭い。 ちなみにテント受付時に小屋番のオヤジに「随分道が荒れてますね」と言ったら、「予算がないんだよ」と言われてしまう。 そうなのだ、登山道の維持は山小屋の自助努力で行われていることがほとんど。このルートの利用状況を考えたら、あれでも文句の言えないレベルだ。国や行政は観光に力を入れると言っても、こういうところは無視に近い。 |
![]() 9月13日 7:42 テント場を出発。 今日は雪渓を登って上部にベースキャンプを張るだけの3-4時間の行程。前回(12年前)は、上部にテントを張ってその日のうちに山頂往復をやっつけた。若いって素晴らしいことだ。 | ![]() 軽アイゼンを装着。巻道から雪渓上に降りる。 | ![]() 剣沢雪渓を登る。 |
![]() 8:55分 長次郎谷(チョウジロウタン)出合。 記録に残る形としての劔岳初登頂は明治時代だが、その際はこの雪渓を詰める形のルートだった。もっとも登頂してみたら、すでに山頂には平安時代のものと思われる修験者の錫杖があったということだ。 現在でもこのルートは剣岳への重要なルートの一つではあるのだが、夏を過ぎると上部のシュルンドが深く、岩に取りつくのが難しいとのこと。 雪渓のわきに立ち並ぶ岩峰群が八峰。ロープとハーネス、そしてクライミング技術が必須のルートだ。 | ![]() 9:35 平蔵谷(ヘイゾウタン)出合。 この上部にカニのタテバイ、ヨコバイがある。我々は別ルートからこの雪渓の上部に至ることなる。 | ![]() 平蔵谷の横に連なる源次郎尾根。 |
![]() 11:32 剣沢小屋前着。この小屋の上部にテント場がある。雨が降ってきた。 | ![]() 雨の中テントを張り終わってほっと一息。昼飯を食い、酒を飲んで寝て、起きて晩飯を食い、酒を飲んで寝て、体力回復を図る。 ちなみに昼はラーメン、夜はパスタ、朝はα化米というのが食事の基本パターン。 雨は夜のうちに止んだ。星も見えていた。 | ![]() 9月14日朝。 Morgenroth モルゲンロート。 山が朝日に赤く染まる様を、洒落てドイツ語でこう呼ぶ。剣のモルゲンロートは初めて見た。 |
![]() 未知の惑星に探検に来ているような雰囲気だなぁ、と来るたびに思う。 | ![]() やった!雲一つない。 | ![]() 7:45 テント場発。まずは麓の小屋、剣山荘までゆるゆると。 |
![]() 8:10 剣山荘着。 高山に来なければ見られないホシガラスが3〜4羽、このあたりを根城に飛び回っている。この時期は大好物のハイマツの実の収穫期だ。口にくわえて飛んでいる姿も見かける。 ホシガラスが見えるのはうれしいが、ライチョウはうれしくない。奴らが出てくるとロクなことがない。天候が崩れるのだ。これ本当の話。だから雷の鳥という字が充てられていると聞いた。 | ![]() 8:25 剣山荘発。 いよいよここから登りにかかる。 | ![]() 鹿島槍を望む。 信州側とは違った形に見えるので、頭の中で山の特徴をパズルのように組み替えながら、山座同定を行う。 |
![]() ベースキャンプを張ると、「我が家」という気分になる。山の上から剣沢テン場の我が家を見下ろす。 | ![]() まずは一服剣(イップクツルギ)へ。最初の鎖場。余裕、余裕。 | ![]() 余裕でたどり着いた一服剣山頂より前剣を見る。あれで「前」ツルギだ。あの奥に本峰がある。相方はこの時点で尻尾を丸めだす。 |
![]() ところどころ本格的に手足を使う場面が出てくる。 | ![]() ぐいぐい高度が上がるので気持ちいい。 | ![]() 前劔手前で劔岳本峰が見えてくる。 ちなみに前劔には「軍隊劔」の別名がある。昔軍が登頂を目指したとき、ガスっていたので、ここを山頂と勘違いして本峰に登らずに降りてきてしまったという。軍人が威張っていた当時、はいはい軍隊さんにとってはここが劔というわけね、という庶民のせめてもの反骨心が感じられる興味深い別名だ。 |
![]() 10:11分 前剣山頂。 ここまでの岩登りで弱気になっている相方を叱咤激励する。 | ![]() 劔岳の難所というと、何といってもカニのタテバイ、ヨコバイが有名だが、その手前の小岩峰が、個人的には最大の難所だと思っている。相方がここを越えられるかどうかで山頂まで行くかどうかを判断することにした。 | ![]() なにしろ高度感抜群なこんな壁を下らなければならなかったりするのだ。 |
![]() 被っているヘルメットがチャリ用ということを除けば、立派なクライマーに見える。 | ![]() 帰りもここを通ります。楽しみ。 | ![]() タテバイ現る。 高さ50mと言われているが、上部の傾斜部も含めての話だろう。垂直の鎖場自体は30mくらいか。 この根元で、ビビッている相方に登頂するかどうかの最終確認をする。 |
![]() 頑張って登り始めた。「死んでも鎖を手放すな」の言いつけを守って、ちゃんと安定して登っている。 | ![]() 実は我々がタテバイに取りつく前に下山ルートで事故が起こってしまった。山頂に着くころにはヘリが出動していて長時間ホバリングをしている。気流のために現場に近づけないのだろうか、それとも相当下まで落ちてしまって発見できないでいるのだろうか。 因みに出動しているのは、日本最精鋭の富山県警山岳警備隊自慢の新鋭ヘリ「つるぎ」だ。 | ![]() 遭難者のことが心配だが、ともあれ山頂に着いた。後に他の登山者と話をして改めて思ったのが、確かに劔岳山頂に長居をする人間は少ない。ましてや山頂で乾杯などしている人間など見たこともない。ここは登ってナンボの山ではなく、無事に降りてナンボの山なのだ。 今回で3度目の登頂だが、自分も御多分に漏れず山頂に対する思いはごくあっさりとしたものだ。ゆえに山頂の画像も少ない。 |
![]() 下りの難所、ヨコバイに挑む。 | ![]() ヨコバイ中。安定して降る相方。だいぶ安心してみていられるようになった。 | ![]() しかしこの手前の難所で、相方がパニクって身体が固まってしまうトラブルがあった。 そこだけ鎖のない岩場のトラバース部分で、下から見ていてさすがにやばいと思って急いで駆け上り、手とり足とりして無事通過。 ほんとうに、ほっと一息。 |
![]() 15:53分 剣山荘着。 | ![]() 劔の店じまい。 我々が下りるのを待っていたかのように雲に包まれる劔岳。 | ![]() 雲は多いながらも時折満天の星空が見える。 色とりどりのテントが華を添える。 (星を強調するため、画像処理してあります) |
![]() 夜劔。 相方にこの景色を見せることができてよかった。 (星を強調するため、画像処理の厚化粧してます) | ![]() 9月15日朝。テント場を旅立つ。今日もいい天気だ。 | ![]() 今回劔初体験の相方。本当によく頑張った。たいへんよくできました。そしてこんなマイナーなルートによくぞついてきてくれた。ありがとう。 |
![]() この先の別山乗越を越えて室堂へ下る雷鳥坂へ入ると、この姿が見えなくなってしまう。登りながら何度も何度も振り返る。 | ![]() 後立山方面もきれいに見える。白馬三山と五竜岳に挟まれて、少し小ぶりだが形の良い唐松岳が見える。屈強なもののふに脇を固められた姫君のようだと思う。 | ![]() 別山乗越にある剣御前小屋前にて。 フルサイズ(?)の劔が見られるのはここが最後。「又来るよ」と声に出して言う。 |
![]() 乗越を挟んで反対側を見ると別世界。ホテルが見える、バスが走っている。 | ![]() 立山三山もきれいに見えている。 | ![]() 富山方面に降りるのであれば、大日岳縦走を絡めるのも人気のコースだ。 |
![]() 今回も行かなかった立山核心部。 毎回そうなのだが、最後に立山三山縦走をして降りる計画を立てながらも、劔だけで相当な満足感があるので、まあいいか、とそのまま室堂まで降りてしまう。そんなわけで立山の核心部である雄山と大汝山は一度も踏んだことがない。 因みに立山信仰では、立山は極楽、劔は地獄の針山という位置づけ。ということは・・・。 | ![]() 雷鳥沢テン場まで降る。ここから先は遊歩道だ。 | ![]() 「山小屋」と呼ぶには相応しくないデザインと規模の建物が見え始める。 |
![]() この先は風向きによっては火山性ガスの中を歩くことになる。ここでタオルやハンカチを濡らして口に当てて歩く。交通機関で来られる観光地なのに、なんというワイルドさだろう。 | ![]() とはいいつつも、何と大げさなとタカをくくっていたら、いきなり火山性ガスの直撃を喰らってむせる。あわてて濡れタオルで鼻と口を覆う。 立山信仰の立山曼荼羅では、このあたりで亡者が釜茹でになっている。それを雄山山頂から(冷たく)見下ろすホトケ様の姿が描かれている。 | ![]() 日本最古の山小屋 室堂。 今でも当時の建物が残っている。世界でも類を見ないほどの積雪量の中で、よくぞ耐えて残っている貴重な文化財だ。 内部は資料館になっている。 |
![]() ターミナルの窓より。見送りに来てくれた劔。 | ![]() 恐ろしいことがいろいろと書いてある。 昨日の事故は軽傷で済んだらしい。よかったよかった。 | ![]() 立山トンネルトロリーバスで帰路に就く。バスの後はロープウェイだ。途中に支柱が一本もないことで有名。 |
![]() 大観峰ロープウェイ駅より。針ノ木岳を望む。 | ![]() 黒部平駅でロープウェイを降りると、全線地下式のケーブルカーで黒部ダムへ。 | ![]() 戻ってきた! |
![]() 4日前は下流に見えるあの橋を通って旅に出たのだ。 | ![]() 剣沢周辺にはあれだけいたヘルメット組も、気が付けばここでは我々だけ。だいぶ場違い。 | ![]() 最終区間、大町トンネルトロリーバスに乗車。 でっかいザックを気にしながら肩身を狭くして乗るこの帰路区間が、全行程中もっとも辛い。 |
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